金がないのがちょっとした悩みだ。今の仕事は給料は安いが、休みはそれなりに取れる。コロナが落ち着いたら本当はたくさん旅行に行きたい。国内と海外両方だ。たくさん旅行して見聞を広め自分の思想をつくる肥やしにする。今の給料では年に2回の旅行が限度だ。「金は善き召使」だ。金があれば年に10回くらい旅行にいけるのにと思うと非常に惜しい。
金の必要性はもうひとつは学費だ。休みはそれなりに取れるので大学の講義にもぐることもできる。私の住んでいる県はなぜか大学が多いので色んな大学から選べる。
しかしコロナになってから大学も用心深くなって外部の人間が大学に紛れこむのは若干難しくなってしまった。今年の4月から物理学や生物学、化学などの授業にもぐろうかと思ったが、大学側の警戒態勢をみて結局やめてしまった。
仕方ないので今年はあきらめて来年あたり科目等履修生になってちゃんと金を払って堂々と授業を受けようかと思っている。15週の半年の授業で3万円だ。4コマほど受けるつもりだから12万円。それなりの出費だが何とかなる範囲。
金は「善き召使」だ。思想を育てるのに旅費と学費は確かに必要だ。
なんとか金を増やせないかと思って証券会社の口座を開設してみた。株だ。これで増えないか?
洞察力にはそこそこ自信がある。実際15年ほど前にとても注目していたsalesforce.comの株価を見ると非常に上がっているではないか。机上でもいいから最先端のビジネスの勉強をして優良な企業を見つけられれば金は増える可能性がある。
デイトレードはどうか?なにかしら法則を見つけられれば短期間で資金は増えないか?
そう思って情報を集めてみた。それを始めてから日常生活においても株のことを考えるようになった。一日中株のことを考える。
それまでは私は一日中思想のことを考えていた。休みの日も朝起きて最初にするのは古典を読むこと。電車の中でも歴史の本を読む。信号待ちしているときも何かいい思想のアイデアがひらめかないかどこかで考え続けている。夜は自分の考えをまとめるため文章を書く。夢の中でも考えているときもある。
それが株の勉強を始めてから一日株のことを考えている。
私はふと10年後のことを考えた。株のことを10年間考え続けうまく行って財産が5倍になったとする。それがいいのか。 それとも思想のことを10年間考え続け自分の思想が発展する。どっちがいいか。
1年間思想のことを1日中考え続けるだけでも膨大な収穫がある。去年1年の収穫を見てもそれはよく分かる。それを10年続けたらどうなるか。そこで私は決めた。株より思想を取ろう。
元々金を増やそうと思ったのは思想の肥やしにするためだ。なのに一日中株のことを考えるなら、それは手段が目的化している。本末転倒だ。根本と末節が逆転している。
NISAの積み立てなど投資信託とかもしくは長期的に株をもつのは、別に毎日情報をチェックする必要もない。何か月かに一度情報を見るだけでいい。そういうのはいいと思う。それとか電子書籍を出したりして稼ぐのはもちろんいい。ブログをマネタイズするのもいいと思う。そういう稼ぎや正しい投資は正しい意味での思想の肥やしになる。しかし一日中株のことを考えるようなデイトレードは止めたがいいと悟った。いい投資か悪い投資かの基準のひとつが一日中投資のことを考えてしまうかにあると思った。
私がよく引用する古代ギリシャの諺がある。
賢者においては金は善き召使だが、
愚者においては冷酷な主人である。
一日中株のことを考えるのは「冷酷な主人」の始まりだなと思った。最初の一歩だ。ただまだ冷酷な感じは全くない。 すぐに冷酷にならないのが興味深い。最初は優しげな顔をして近寄って来るが恐らく徐々に冷酷になっていくんだろう。
この言葉は私は色んなところで引用する。「善き召使」は日頃痛切に実感していたが「冷酷な主人」はほとんど実感ないのに引用していた。
今回の株の勉強でこの言葉の意味を少し理解できたような気がする。これも思想を深めるためのひとつの貴重な体験だとしておこう。
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■上部の画像は山下清
■作成日:2022/04/10