「初心忘るべからず」という言葉。 いろんな意味に解せる言葉で、好きな言葉のひとつだ。
私は大学時代、哲学の研究者を目指していた。 当時この言葉を「素人であったころの素人らしさを忘れるな」という意味に解していた。
専門家になればなるほど仕事のレベルは高くなっていく。 しかしだんだん専門家同士でしか分からない議題のみにかかわるようになり、 ひとつは生き生きとした問題意識が失われるのと、 もうひとつは他分野との関係が失われる。 特に哲学はその傾向が強い。 素人らしさを忘れずにいれば、それをある程度防げるため座右の銘にしていたのだ。
私は研究者になれず、専門家になれなかった失敗した人間であるから、 もうこの言葉をその意味で用いる必要はなくなった。 専門家ではなく素人そのものであるから、素人らしさを忘れる心配は全くないのだ。
「初心忘るべからず」のもう一つの解釈は『孟子』から引用する。
書下し文
孟子曰く、大人とは、其の赤子の心を失わざる者なり
現代語訳
孟子が仰った。偉大な人物とは赤子であったころの心を失わない人物である
子供がそのまま大きくなった「リアルな少年」はあまりよろしくないかもしれないが、 成熟した大人が少年らしさを忘れずにいるのは、好感が持てる場合がほとんどだ。
さらに偉大な人物は赤ん坊のころの心まで残しているという。 これもある意味「初心忘るべからず」なのかもしれない。
NMBのニューシングルの「母校へ帰れ」が2019年8月発売予定だ。 これも「初心忘るべからず」のもう一つの意味である。
我々生きていると目標を失う場合がある。 最初は明確な目標があったのに、いつの間にか手段と目的が入れ替わったり。 最初の目標よりもお金や出世を優先して、いつの間にか目標を失ったり。 (私は金もなく地位もなく、その心配は一切ないが・・(笑)) 最初の目的より生活を優先して目標を失ったり。 (私の場合これは大いにある(笑))
そういう時に美瑠のようにぶらりと母校を訪れる。 すると当時の情景や自分の気持ちや決意が自然と思い出され、 最初の目標が自然によみがえってくる。 あの時入らなかったバスケットボールをもう一度投げてみようと決意を新たにする。 「初心忘るべからず」の解釈のひとつだ。
私は母校はいっぱいあるが、どこも十年に一度ほど訪れる。 なつかしさが心の芯から湧いてくる。 しかし「母校に帰れ」の歌詞の意味で、母校を訪れたことはなかった。 実は最初の決意を忘れたことがないので、思い出す必要がないからなのだが。
しかし歌詞を読んでそういう方法があるのかと非常に興味深く思った。 多くの大人たちが知っておいたほうが良い方法かもしれない。
前から思っていたがNMBの曲の歌詞は時々だがメッセージがある場合がある。 ただ現在はネット以外で活動する気はないから、 「人ごみに見紛れて石を投げろ」というのはどんぴしゃ当たっていると思う(笑)。
『菜根譚』に次の言葉がある。
書下し文
事窮まり勢蹙まる人は、まさにその初心を原ぬべし。功成り行満るの士は、その末路を観んことを要す。
現代語訳
仕事に行き詰まり形勢が窮まった人は、それを志した初心にかえるべきである。すでに功績をなして名誉を得た人は、行く末を見定めることが必要である。
これも同じことを言っているのかもしれない。
■上部の画像は熊谷守一
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